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2012年7月22日日曜日

サマータイム・ブルース/RCサクセッション

 

 ぼくの知っている範囲で云えば,FUKUSHIMAの事故以前に原発の問題を活動の中心で正面から取り上げていたアーティストは,2人だけでした。黒澤と清志郎です。このアルバムの発売が親会社東芝の意向で中止に追いやられ,その新聞広告が出た後,世論のバックアップもあって結局8月15日の発売に漕ぎ着けたあの夏は1988年,つまり,昭和の最後の夏でした。バブルな空気が増殖する中,あの頃ぼくはお気軽な司法浪人中で,この後に続く一連の騒動をむしろ楽しんでいたといった風情でした。

 しかし,あの
頃弟と笑って聴いていたロックン仁義などCoversに続く清志郎の一連の作品を昨年の夏本当に久しぶりに聴いたり,YouTubeでタイマーズでのパフォーマンスを観るにつけ,清志郎本気だったんだなぁ,というよりも,命を懸けていたんだなぁと熟熟思ってしまいました(熟熟思うべきは,むしろ,自分自身の阿呆さ加減ですが,…)。ラブ・ミー・テンダーの中で,「長生きしてぇなぁ」と歌っていることにもしみじみしてしまいますが,サマータイム・ブルースの中で37基も建っていると歌われていることにも愕然としてしまいます。> つまり,この歌の後,20基以上の原発が増えていたのですね。

 実は,こんなことを急に書いてみたくなったのは,今日ひとつのパフォーマンスに触れたからです。中で,100年後,200年後の人たちが今の人たちをどうみるのかという下りがあります。正に100年後の批判に耐える行動を今私たちがすべきことは明らかだと素直に思いました。

 2012年(平成24年)7月22日 日曜日

 
 
 

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